自閉スペクトラム症(ASD)と診断された5歳の娘に贈りたい 「徳川家康の遺訓」に込められた想い【大竹稽】
障害があるままに自由になる 第4回 〜徳川家康の障害〜
発達障害は、英語では《developmental disorder》です。《disorder》はあまり馴染みのない単語ですが、もう一つ、《disability》という語も用いられます。「障害」は、医療的意味では《disorder(~症、不調)》、福祉的意味では《disability(不自由)》と、大きく使い分けられます。他に障害を意味する英単語には、《hindrance(妨害、足手まとい)》、《obstacle(邪魔, 障害物, 妨害物)》、《barrier(バリア, 障壁)》、《trouble(病気、心配、苦労、迷惑)》、《hurdle(ハードル, 関門)》などがありますね。
さて、「定型」や「標準」に縛られてしまった思考の持ち主にとっては、これらの「障害」のどれもが、忌み嫌われるものでしょう。「一般人にできて自分にはできない」「自分が平均以下になる」「他の人ができるキャリアの妨げとなる」のが「障害」であると、彼らは思い込んでいます。
しかし、この思い込みこそ「不自由を常と思えば不足なし」からどんどん離れていき、結局は「一般人」ばかり追いかけて自分すら見失ってしまう原因となるのです。根本的に、私たちは不自由なのです。不自由のまま、足りているのです。障害のあるままで自由なのです。
「不自由なき自由」思考は自分自身を苦しめるでしょう。そして「不自由なき自由」思考者たちが共生を阻み、未来を貧しくしています。成功と安定しか眼中にない資本主義型一択思考の人間は、この道理にはなかなか気づけません。しかし、障害を抱えるこどもとその親、そして支援者たちは、肌と心で「不自由を常と思えば不足なし」を感じ取るでしょう。きっと、発達障害の子どもたちが人間のなんたるかを証明する時代になるでしょう。
自由なき不自由は非情で残酷です。またその逆、不自由なき自由こそ愚かで哀れです。「不自由であるからこそ自由である」、この哲理を発達障害の子どもたちが教えてくれるでしょう。
「人の一生は重荷を負って遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし」。障害があるままでいいじゃないですか。失敗してもいいじゃないですか。道を外れてもマイペースで歩けばいいじゃないですか。「任運」は自分の思う通りになりません。それに逆らえば、自縄自縛の悪循環。しかし、「任運」によって自分に素直になることで、流れが好転していきます。その先にようやく、「自分」が見えてきます。
「障害」なるものはしばしば忌避されるものです。障害は順風満帆だったキャリアを壊してしまうもの、なんて考えられているようですが、ずいぶん息苦しい縄で自分を縛りつけていますね。彼らに自分なるものを見極めることなど不可能でしょう。自由は「自分に由る」のです。自由は制限や不自由、そして障害の内に芽生えるのです。
奇しくも、娘の誕生日は家康と同じ日です。
「及ばざるは過ぎたるより勝れり」。自分も及ばないところばかりの人間です。家康のこの遺訓を、ASDでも全然、元気でエネルギッシュに遊んでいる愛娘に贈ります。
文:大竹稽
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